夏の日差しで屋根が熱く灼ける ー 体感温度の不思議

皆さん こんにちは。 企画設計の太田です
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建築家とつくる「木の家」
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50歳になった頃、血圧が190ぐらいになり、命の危険を感じて以来試しに始めたウォーキングが次第にジョギングになり、それが今ではすっかり習慣になりました。週に一回づつの9.5km、5kmのジョグはしっかりと生活の一部です。誰に強要されるでもないのに、よく挫折せず続くものだと自分でも思いますが、もともと音楽や美術造形の方面に興味が強く、逆に体を動かしたりするのは苦手だと若い頃から思い込んでいて、それが一つのコンプレックスだったのだから、人生というのはどこでどうなるのかホント分からないものです。この運動音痴だったという心の片隅に潜んでいるコンプレックスが「俺はやるときゃやる男だよ」という今の私のモチベーションとなっているのです。

さて、今日も夏の30度を楽に超える炎天下を走り終えた私は、近くにある神社の境内の賽銭箱の前の木製階段に腰を下ろし、吹き抜ける風がやけにひんやりとしていることを考えておりました。


沿道を渡る空気とそんなにも変わらない状況なのに体感温度はこんなにも違う。まるでトンネルに入ったときのようだ。なぜなんでしょう?実はこれについては私なりの答えをすでに用意してあります。
これは輻射熱という理屈を考え合わせるとある程度説明がつくのです。以下に説明してみます。
あらゆるものから熱線というものは遠赤外線という電磁波によって放出されているのですが、物の間にある空気は関係なく伝わるこの熱線のことを物理学方面のちょっと小難しい言葉で輻射熱と言います。そして身の回りにある多種多様なものから発せられる熱線の量を差し引き勘定して人間は体感温度として感じているわけです。
冷たいもの、すなわち熱線を少ししか出さないものを冷たいと認識します。逆に熱いものはたくさん熱線を放出しているのです。冬場の何時まで経っても温まらない床は熱線を少ししか出さないので人間は不快に寒く感じるし、夏のキャンプファイヤーの炎などは熱線の塊ですから、顔のほてりを感じるわけです。

大樹の下へ入るととても涼しくて仕事をサボって昼寝をするのにはにもってこいなのですが、実は葉っぱが太陽光を受けても表面で蒸散するため表面温度はあまり変わりません。光のエネルギーが光合成でデンプンに変わるということでも熱エネルギーへの変換は少ないのかもしれない。要は大樹の下への熱線量は非常に少ない。なのでその場の気温はあまり変わらないにも関わらず人間が受け止める熱線量は相対に少なくなり体感温度は非常に低いものとなります。

などというような事をつらつら考えて、ブログの記事にしてやろうと思い至ったのでした。理屈としては多分正しいと思います。

私は高気密高断熱化による住宅の省エネ化というのは、人口減少へ転じた今ではもう少し違った方法論があるのではないかとかなり懐疑的なのですが、昨今のこの殺人的な炎暑を耐え忍ぶほど我慢強い人間ではないので、なんとか自然のあるがままの姿から学んで何か建築への応用できないかと考えております。

出来れば家の中だけを涼しくするんじゃなくて、気候そのものを穏やかにしていければいいんですがね。政治による今の方法論は少し間違っていると思います。

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