建築家への遠い道のり

皆さん こんにちは。 企画設計の太田です
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建築家とつくる「木の家」
静岡・焼津・藤枝・島田・金谷・菊川・掛川
コバヤシ建築は家づくりの難問を解決します
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自分のことばかり書いています。前回に続いて自己紹介の続きです。

ちょうど東京にいた頃はバルセロナオリンピックの開催に合わせて建築家ガウディの再評価が世界的に起こり、国内ではコンクリート打ち放しの安藤忠雄さんが大きくクローズアップされていました。もともと現代アートが好きだったのでこれらの世界的建築家作品の虜になりました。1992年ごろの話です。バブル経済が破綻するリアルタイムの東京にいたわけですね。今思い起こすと確かに今にも落ちそうな熟した果実のような緊張感がみなぎっていたように感じます。

一方、務めていた新宿のライブハウスの関係でカシオペアという当時日本を代表するフュージョンバンドのギタリストの野呂一生さんとお知り合いになる機会を得たりしました。次の新譜の録音があるからスタジオへ遊びにお出でなどと誘われたりもしましたが場所がロンドンのスタジオと聞いて即座に諦めました。店によくいらしていた体操金メダリストの森末慎二さんと音楽アルバムを作ろうなんて話もしていましたね。もちろん彼の社交辞令ですよ。彼は歌もプロとして通用するほど上手で、体操ではない他の分野でも観客を魅了するポイントみたいなものを生得的に持っているようでした。なんといってもオリンピック金メダリストですもの。そうこうしてるうちにビッグバンドの「高橋達也と東京ユニオン」とスタンダードジャズのボーカルナンバーのアルバム作ってました。正直、置いてけぼりを食ったような侘びしさを感じました。アイドル時代の小泉今日子さんもお店にいらしてましたね。ちょっと存在感が違いました彼女は。店に入ってきた時本当にスポットライトがあたってました。オーラといいますか、後光が差していたんです。一流の人たちの姿を目のあたりにして私が音楽の道を諦め始めたのもこの頃だったと思います。

そんなある日、わたしの人生の転機を促す出来事が起こったのです

わたしの自伝みたいなブログになってきましたが、この儀式を済まさないと今の仕事の話が出来ない気がするので、もうしばらくお付き合い下さい。

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